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チェルノブイリ原発、新たな「石棺」着工 老朽化対策で


 旧ソ連ウクライナのチェルノブイリ原発で26日、放射性物質を封じ込める新たなシェルターの組み立てが始まった。原発を覆う「石棺」の老朽化対策として3年での完成を目指す。原発の解体や、溶け出した核燃料の取り出しには100年近くかかる見通しだ。


「石棺」と呼ばれるコンクリートで覆われたチェルノブイリ原発4号炉=2011年10月

 大惨事から26年となる4月26日にあわせて着工した。原発近くで開かれた式典で、ウクライナのヤヌコビッチ大統領は「安全性を高める重要な一歩だ」と述べた。


チェルノブイリの新シェルター

 新たなシェルターは、鉄骨の骨組みにパネルを組み合わせたかまぼこ形で、高さ105メートル、幅257メートル。隣接する敷地で組み立てて特製レールの上を滑らせ、事故を起こした4号炉にかぶせる。耐用年数は100年という。フランスの建設大手2社が設立した合弁会社「ノバルカ」が手がける。
--朝日新聞(24.4.27)







スエーデンの原子力発電事故  


2006年11月14日 リンハルス原発事故

スウェーデン南西部にある北欧最大の原子力発電所、リンハルス原発で2006年11月14日朝、火災が発生し、原子炉の運転を緊急停止した。電力会社側は「安全上の問題はない」としているが、同国では7月末にも別の原発で深刻な事故が発生しており、国内外で安全性への不安が広がっている。

スウェーデンではこの事故を受けて、国内に10基ある原子炉のうち4基を停止させた。なおこの事故のニュースは2日間にわたり非公開とされた。

 地元紙などによると、火災は原子炉から約70メートル離れた変圧器で発生。数時間後に消し止められたが、火災は爆発を伴い、変圧設備は全損したという。同原発は最低でも二週間、運転を停止し、原因究明や技術検査を行う。

一方、今年7月末の事故は、同国東部のフォルスマルク原発で発生。この事故では原子炉を制御するための主電源が故障した。後になって、主電源の故障時に使用する予備電源も約20分間にわたって作動していなかったことも判明した。

 このため、環境保護団体などは「紙一重の差でメルトダウン(炉心溶融)に至り、チェルノブイリ事故と同等の被害を引き起こした可能性があった」と指摘している。 (北海道新聞資料)


2006年、7月25日フルスマルク原発事故


スウェーデンのフォルスマルク原子力発電所で7月25日(UTC+2)炉心緊急冷却システムと予備の冷却装置が電気的トラブルにより動かなくなり、炉心溶融につながりかねない状態となったことが明らかとなった。

ストックホルムの北のウプサラ県にあるフォルスマルク原子力発電所には3基の沸騰水型原子炉 (BWR) があり、事故を起こしたのは1号機。

原子力資料情報室によると、25日午後1時19分(日本時間午後9時19分)頃、メンテナンスを制御する部分で何らかの原因によってショートが起き電源が停止、原子炉を緊急停止した。操作員により炉心溶融に至る前に2台の非常発電機の復旧に成功した。

BBCによればこの事故は国際原子力機関 (IAEA) のレベル0から7まである国際原子力事象評価尺度(INES)のレベル2に相当するという。

スウェーデンではこの事故を受けて、国内に10基ある原子炉のうち4基を停止させた。なおこの事故のニュースは2日間にわたり非公開とされた。

スエーデンの原発事故  スエーデン フスマルク原発事故
左図:フォルスマルク原発があるウプサラ県の位置(資料)
右図:事故による放射線、セシウム137の汚染マップ

事故後、汚染が最もひどかったイェヴレ地域では10万ベクレル/m2だった。


事故後の原発に関するスエーデン人の考え:原発廃止から転換へ向かうか?

この事故の後、スウェーデンでは、原発の必要性を問う国民投票が行われ、国民の60%が、現在動いている原発の寿命が終わったら、それ以上建てることはせず、原発をなくしていくべきだ、と答えた。この結果をふまえ、与党の社会民主労働党(SDP)は、「2010年には原発を全て廃止する」という方針を打ち出した。原発の寿命は25年とされていたから、2010年までには全ての原発が寿命を終えているだろう、という予測に基づくものだった。

1960年まで、スウェーデンの発電所の中心は水力だったが、大型ダムは山岳地帯の環境を破壊するため、1970年以降は作れなくなった。電力需要の増加に対しては原発を増設せざるを得ず、1980年の国民投票当時、合計6基だったスウェーデンの原発は、その後12基まで増えた。
、原発問題に関し、政府与党は3党の要望を受け入れることにした。これにより、世界でもあまり例のない「寿命がくる前に原発を廃炉にする」という政策が決定した。(オーストリアに前例がある)
1996年の世論調査によると、スウェーデン国民の80%は、地球温暖化を防ぐための手段などとして、原発が必要だと考えている。また国民の60%は、原発の寿命がくる前に廃炉にしてしまうのは良くない、と考えている。

スウェーデンでは、1980年の国民投票において、稼働中の原発12基の全廃を決定した。2009年2月にはスウェーデン政府が1980年の国民投票において決まった原発の段階的廃止という方針を修正した[21]。再生エネルギーの開発・普及や省エネの促進によるエネルギー構造の転換は今後も続けていくものの、既存の10基の原子炉の寿命が来た際に新設原子炉による更新が必要とされれば、その更新を認めるという決定を行った[22]

スウェーデンでは2004年8月の世論調査において81%が原子力発電の継続を支持した

スウェーデンの電力の原発依存度は約48%。1980年の国民投票を経て、当時12基あった原子炉を2010年までに全廃すると決定した。その後、2基停止したが、97年に閉鎖期限を撤廃するなど、政策転換へと徐々にかじを切っていた。

【ロンドン共同】スウェーデン議会は2011年6月17日、世界に先駆けて打ち出した同国の脱原発7 件政策を30年ぶりに転換し、来年以降、既存の原発の原子炉建て替えを認める法案を賛成174、反対172の小差で可決した。ロイター通信などが伝えた。



アメリカの原発事故
フォシュマルク原発
イギリスの原発事故
原発の場所を示す地図


フォルスマルク原発事故、原因は安全意識の「劣化」 -
スウェーデン

【フォルスマルク/スウェーデン 31日 AFP】6か月前に大事故が発生したフォルスマルク原発(Forsmark nuclear power plant)に関する内部報告書が30日に発表された。
フォルスマルク原発の技術者などにより作成されたこの報告書は、「安全についての管理意識が長い間に劣化していたことが、事故につながった」として、事故の原因は同原発の安全管理体制が必要な基準に達していなかったためと指摘している。


その他の海外原発事故
スエーデン、フォルスマルク原発事故イギリス、ウィンズケール原発事故
フォルスマルク原発




チェルノブイリ原子力発電事故

1986年4月に事故発生
1986年4月26日1時23分(モスクワ時間 )にソビエト連邦(現:ウクライナ)のチェルノブイリ原子力発電所4号炉で起きた原子力事故。後に決められた国際原子力事象評価尺度 (INES) において最悪のレベル7(深刻な事故)に分類される事故である。他にレベル7に分類される事故に2011年の福島第一原子力発電所事故がある。

事故当時、爆発した4号炉は操業休止中であり、外部電源喪失を想定した非常用発電系統の実験[1]を行っていた。この実験中に制御不能に陥り、炉心が融解、爆発したとされる。爆発により、原子炉内の放射性物質が大気中に量にして推定10t前後、14エクサベクレルに及ぶ放射性物質が放出された 。これに関しては、広島市に投下された原子爆弾(リトルボーイ)による放出量の約400倍とする国際原子力機関 (IAEA) による記録が残されている。

爆発後も火災は止まらず、消火活動が続いた。アメリカの軍事衛星からも、赤く燃える原子炉中心部の様子が観察されたという。ソ連当局は応急措置として次の作業を実行した。

  1. 火災の鎮火と、放射線の遮断の為にホウ素を混入させた砂5000tを直上からヘリコプターで4号炉に投下。
  2. 水蒸気爆発(2次爆発)を防ぐため下部水槽(圧力抑制プール)の排水。(後日、一部の溶融燃料の水槽到達を確認したが水蒸気爆発という規模の現象は起きなかった)
  3. 減速材として炉心内へ鉛の大量投入。
  4. 液体窒素を投入して周囲から冷却、炉心温度を低下させる。

この策が功を奏したのか、一時制御不能に陥っていた炉心内の核燃料の活動も次第に落ち着き、5月6日までに大規模な放射性物質の漏出は終わったとの見解をソ連政府は発表している。

下部水槽(サプレッション・プール)の排水は、放射性物質を多く含んだ水中へ原発職員3名が潜水し、手動でバルブを開栓する作業だが不動により失敗(作業員は大量に被曝したがその後の消息は不明とされる)。これを受け消防隊12名がプール排水のためポンプとホースの設置作業を行いこちらはおおむね成功した]

爆発した4号炉をコンクリートで封じ込めるために、延べ80万人の労働者が動員された。4号炉を封じ込めるための構造物は石棺(せきかん / せっかん)と呼ばれている。


現在の状況
2010年現在もなお、原発から半径30km以内の地域での居住が禁止されるとともに、原発から北東へ向かって約350kmの範囲内にはホットスポットと呼ばれる局地的な高濃度汚染地域が約100箇所にわたって点在し、ホットスポット内においては農業や畜産業などが全面的に禁止されており、また、その周辺でも制限されている地域がある。


事故による近辺の住民の退避

事故による高濃度の放射性物質で汚染されたチェルノブイリ周辺は居住が不可能になり、約16万人が移住を余儀なくされた。避難は4月27日から5月6日にかけて行われ、事故発生から1ヶ月後までに原発から30km以内に居住する約11万6000人全てが移住したとソ連によって発表されている。しかし、生まれた地を離れるのを望まなかった老人などの一部の住民は、移住せずに生活を続けた。

その他、当該プラントから半径350km以内でも、放射性物質により高濃度に汚染されたホットスポットと呼ばれる地域においては、農業の無期限での停止措置および住民の移転を推進する措置が取られ、結果として更に数十万人がホットスポット外に移転した

放射性物質による汚染は、現場付近のウクライナだけでなく、隣のベラルーシ、ロシアにも拡大した。
チェルノブイリ汚染はヨーロッパにも及ぶ


事故の放射線量・原爆と比較

IAEAの記録によると、この事故による放射性物質の放出とそれに伴う汚染は広島に投下された原爆(リトルボーイ)による汚染の約400倍と多いようでも、20世紀中頃に繰り返されたすべての大気圏内核実験による汚染と単純比較した場合、その放射性物質の総量比率は100分~1,000分の1に過ぎないので、この事故は局地的災害の性質が濃いという考え方もあるが、

  • 世界各地に降下した放射性物質による各地の被害線量はそれぞれ異なる(爆心はどこか、風向きの延長線上か、など固有条件に左右される)
  • 高所爆発の核爆弾と、地上爆発の原発では汚染実態が異なる(爆弾の方が高所から遠方へ高速で飛散し、平方mあたりの被害が小さくなりやすい)
  • 核爆弾は少量の核の大半を瞬時に反応させ終えてしまうが、原発事故は大量の核のゆるやかな核反応つまり臨界が長く続く
  • 核爆弾は1発あたりの放射性物質の総量は非常に少なく、原発は1カ所あたりの総量が非常に多い、

など、単純比較にはあまり意味が無いともいえる


長期的影響

事故の直後においては健康への影響は主に半減期8日の放射性ヨウ素によるものだった。今日では、半減期が約30年のストロンチウム90とセシウム137による土壌汚染が問題になっている。最も高いレベルのセシウム137は土壌の表層にあり、それが植物、昆虫、キノコなどに吸収され、現地の食糧生産に入り込む。最近の試験によると、この区域内の木の中のセシウム137のレベルは上がり続けている。汚染が地下の帯水層や、湖や池のような閉じた水系に移行しているといういくつかの証拠がある。雨や地下水による流去は無視できるほど小さいことが実証されているため、消滅の主な原因は、セシウム137がバリウム137へ自然崩壊したことによるものと予想されている。


チェルノブイリの原発事故
セメントで固められた摂関のチェルノブイリ原発
イギリス、セラフィールド原発
爆発後のチェルノブイリ原発
原子炉の溶解
炉心溶解
爆発後のチェルノブイリ
爆発後のチェルノブイリ原発
石棺となったチェルノブイリ
石棺となった4号炉チェルノブイリ原発
チェルノブイリ4号機
石棺チェルノブイリ原発4号炉
近隣の病院の被災の様子
チェルノブイリ原発近くのプリヤ町の病院の被災の様子
チェルノブイリ所在地 地図
チェルノブイリ原発の位置
チェルノブイリ 航空写真
衛星写真:池の上部左側
チェルノブイリ汚染区域
放射線汚染はヨーロッパ全土に及んだ
2007年のチェルノブイリ原発
2007年のチェルノブイリ原発


チェルノブイリ25年後 住民去った町を歩く

1986年4月に大事故を起こしたウクライナ・チェルノブイリ原発の南東十数キロ。放射線モニタリングなどにあたる3千人ほどが働いている町、チェルノブイリ市を平成23年10月に訪ねた。 ウクライナ政府によると、事故の影響で168の村が消えた。市の中央広場には、その名が記された立て札がアルファベット順に並ぶ。事故から25年の今春完成した。

 市内には、放射線測定や生態系調査などを担う行政機関の拠点がある。市は、「ゾーン」と呼ばれる立ち入り規制区域の中にあるが、集中的に除染され、職員らは例外的に滞在が認められて月の約半分を市内の寮で暮らす。朝夕には、通勤バスが広場周辺を行き交い、少しだけにぎわう。商店や教会もある。

 市の中心を離れると、ゾーンの現実がわかる。市内の目抜き通りの両脇には木造の廃屋が並び、プリピャチ川沿いにはさびた廃船が係留されたままだ。

 市内を出て原発に向かう。原発の約2キロ手前の「コパチ村」跡。荒野に三つ葉の形の放射能標識と看板が立つ。「住民1114人が1986年5月3日に避難した」とある。

 家々は降り注いだ放射性物質で汚染され、壊されて埋められた。そばの道路で地上1メートルの空間線量を簡易装置で測ると、毎時0.7マイクロシーベルトほどだった。
現在平成23年10月のチェルノブイリ
チェルノブイリ地図
ーー朝日深部(23.10.31)









1979年3月事故発生
1979年3月28日、アメリカ合衆国東北部ペンシルベニア州のスリーマイル島原子力発電所で発生した重大な原子力事故。原子炉冷却材喪失事故 (Loss Of Coolant Accident, LOCA) に分類され、想定された事故の規模を上回る過酷事故 (Severe Accident) である。国際原子力事象評価尺度 (INES) においてレベル5の事例である。


スリーマイル島原発事故 1979,3.26
中央手前の二つのドームが原子炉建屋で、その左隣の白い建物が制御室を含むタービン建屋である。奥に見える二基の塔状構造物は放熱塔、事故の起きた2号炉

事故は1979年3月28日午前4時過ぎから起こった。

2号炉はバブコック&ウィルコックス社(B&W社)が設計した加圧水型原子炉 (PWR) で電気出力は96万kWであった。事故当日、2号炉は営業運転開始から3ヶ月を経過しており、定格出力の97%で営業運転中だった。

2号炉の、2次系の脱塩塔のイオン交換樹脂を再生するために移送する作業が続けられていたが、この移送鞄管に樹脂が詰まり、作業は難航していた。この時に、樹脂移送用の水が、弁等を制御する計装用空気系に混入したために異常を検知した脱塩塔出入口の弁が閉じ、この結果主給水ポンプが停止し、ほとんど同時にタービンが停止した。 二次冷却水の給水ポンプが止まったため、蒸気発生器への二次冷却水の供給が行われず、除熱が出来ないことになり、一次冷却系を含む炉心の圧力が上昇し加圧器逃し安全弁が開いた。

運転員が冷却水過剰と誤判断し、非常用炉心冷却装置は手動で停止されてしまう。

このあと一次系の給水ポンプも停止されてしまったため、結局2時間20分開いたままになっていた安全弁から500トンの冷却水が流出し、炉心上部3分の2が蒸気中にむき出しとなり、崩壊熱によって燃料棒が破損した。

運転員による給水回復措置が取られ、事故は終息した。結局、炉心溶融(メルトダウン)で、燃料の45%、62トンが溶融し、うち20トンが原子炉圧力容器の底に溜まった。給水回復の急激な冷却によって、炉心溶解が予想より大きかったとされている。

放出された放射性物質は希ガス(ヘリウム、アルゴン、キセノン等)が大半で約92.5 PBq(250万キュリー)。ヨウ素は約555GBq(15キュリー)に過ぎない。セシウムは放出されなかった。周辺住民の被曝は0.01 - 1mSv程度とされる(後述)。この被害は1957年に起きたイギリスのウィンズケール原子炉事故に次ぐ。

人体への影響

米国原子力学会は、公式発表された放出値を用いて、「発電所から10マイル以内に住む住民の平均被曝量は8ミリレムであり、個人単位でも100ミリレムを超える者はいない。8ミリレムは胸部X線検査とほぼ同じで、100ミリレムは米国民が1年で受ける平均自然放射線量のおよそ三分の一だ」としている(1ミリレムは0.01mSv)。

放射性降下物による健康への影響に関する初期の科学的文献は、こうした放出値に基づいて、発電所の周辺10マイルの地域におけるガンによる死者の増加数は1人か2人と推定している。10マイル圏外の死亡率が調査されたことはない。1980年代になると、健康被害に関する伝聞報告に基づいて地元での運動が活発化し、科学的調査への委託につながったが、一連の調査によって事故が健康に有意な影響を与えたという結論は出なかった。


危機的状況は長くは続かなかった。10日目の4月6日、ペンシルベニア州知事が終息宣言を出し、ほとんどの住民が自宅に戻ることができた。
事故が起きたとき、空気中に放出された放射線量は、実は正確にはわかっていない。州政府は『健康被害はない』と言ってるが、調査の方法論が間違っているという指摘もある。

TMIの事故が残した爪痕は、がんの不安だけではなかった。事故の処理にかかった費用も大きかった。電力会社は2号機を廃炉にするため、放射能の除染作業や燃料取り出し、汚染水の処理などに10年かかり、約10億ドル(約810億円)を費やしたとされている。



現在の状況
米国ペンシルベニア州ミドルタウンのスリーマイル島(TMI)原子力発電所は28日、米国内で最悪とされる事故から32年。AP通信によると、近くの住民ら約30人が原発前に集まり、「核反対」の横断幕を掲げた。また、福島第一原発の事故処理が続くなか、参加者はろうそくをともしながら、日本の被災者らに祈りを捧げた。


原発反対運動

 TMIの原発事故は1979年、稼働中の2号炉の冷却水がポンプ故障などで失われ、炉心が溶融。1週間にわたって8キロ以内の幼児と妊婦が避難し、16キロ以内の住民が屋内退避した。放射性ヨウ素の放出は限定的で、今のところ事故を原因とする近隣住民の健康影響は報告されていない。TMIでは、1号炉が現在も稼働中だ。--朝日新聞(23.3.29)






スリーマイルの原発事故
スリーマイル原発現況 煙のない事故を起こした2号機は後方
炉心溶解の図説
推定される炉心溶解
スリーマイル原発、現在も稼動中
スリーマイル原発現況 煙のない事故を起こした2号機は右側
煙のない煙突が事故を起こした2号機
スリーマイル島にある原子炉 煙のない煙突が事故を起こした2号機
スリーマイル島原発 所在地図
スリーマイル原発はペンシルバニア州のスリーマイル島にある
スリーマイル島航空写真
上空から見たスリーマイル原発
事故を起こした2号機の煙突
事故を起こした2号機の煙突
原発からの距離
原発からの距離図
スリーマイル コントロールセンター
スリーマイル原発コントロールセンター
除染する作業員
除染掃除する作業者
疑問点:32年前とはいえ開示されている画像や資料は意外と少ない。




1957年10月19日ウインズケール核燃料工場火災事故

世界初の原子炉重大事故。イギリス北西部の軍事用プルトニウムを生産するウィンズケイル原子力工場(現セラフィールド)の原子炉2基の炉心で黒鉛(炭素製)減速材の過熱により火災が発生、16時間燃え続け、多量の放射性物質を外部に放出した。避難命令が出なかったため、地元住民は一生許容線量の10倍の放射線を受け、数十人がその後白血病で死亡した。現在の所白血病発生率は全国平均の3倍である。当時のマクミラン政権が極秘にしていたが、30年後に公開された。現在でも危険な状態にある。2万キュリーのヨウ素131が工場周辺500平方キロメートルを汚染し、ヨードの危険性を知らせたことで有名である。水素爆発のおそれから注水に手間取った。これはスリーマイル島でも繰り返された。

英国 ウインズケール原発事故
ウインズケール原発
ウインズケール原発
ウインズケール原発
ウインズケール原発所在地図
ウインズケール原発の位置、現在ウィンズケールはセラフィールドに名前を変えている。
ウインズケール原発
セラフィールド原発 現況
セラフィールド原発現況
セラフィールド原発現況






1957年9月 ウラル核惨事(ソ連)
1959年7月 サンタスザーナ野外実験所燃料棒溶融事故
        アメリカ、カリフォルニア州)
1961年1月 SL-1事故;
        SL-1 (Stationary Low-Power Reactor Number One)
        アメリカ、アイダホ
1963年10月 サン・ローラン・デ・ゾー原子炉で燃料溶融事故
         フランス